ヨガ哲学、ヨガスートラの続きです。
前回、ヨガスートラの教えについてざっくりと書きましたが、ほんとにざっくりだったので・・・プルシャとかプラクリティの話は少し分かりにくかったと思います。
・あるところに、プルシャという生まれたての存在がありました(真我。魂。本当の自分。影響されない純粋な存在。傍観者)
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・ある時、チラッとプラクリティ(世界を作り出す物質の元)を見てしまった・・・!
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・見られてしまったプラクリティ。プラクリティの中でバランスがとれていて静かに静止していた、3つの性質(トリグナ。純性・激性・鈍性)のバランスが崩れて動きだす
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・プラクリティはどんどん展開していく~
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・ブッデイ(覚)、アハンカーラ(自我)、思考(マナス)が生まれ(←この3つを合わせてチッタ・心と呼ぶ)自分以外の何かがある!事を知る。
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五唯(声・触・色・味・香)
五感覚器官(目・耳・鼻・舌・皮膚 )
五行動器官(発声・把握・歩行・排泄・生殖)
五粗大元素(空・風・火・水・土。物質の元となっているもの)
へと発展していく~
ざっくりと(笑)このような流れで、プラクリティの展開からチッタ(心)が生まれて、チッタがわたしたちのこの世での苦しみ(クレーシャ)を生み出しているんですね。
外側(五感を通して私たちに影響しているもの、事)に向いた意識を自身の内側に戻していき、プルシャへと戻るために行うのが、ヨガです。
ヨガの目的は、心の動きを止滅させること。
ヨガで心の動きを止めると、プルシャが本来あるべき姿に戻ります。
心の動きを止める=本当の自分を知る
【八支則のヤマ】
ヨガの練習は、八支則という8つの事を実践していく必要があります。(8つの内容は前回のブログを参照)
その8つの中で、まず最初の2つ、ヤマ(するべきでない事)、ニヤマ(するべき事)の実践が、とても大切。
「ヨガ」と聞いて思い浮かべる、ポーズ(アーサナ)やプラーナヤマ(呼吸法)は、このヤマ・ニヤマの後に記されているので・・・八支則すべて大切だけど、まずここをちゃんと実践しましょう、っていうのがヤマとニヤマ。
今回は、まず【ヤマ】から見ていきますね。
ヤマ=社会的な禁止事項。するべきではないこと。
ヤマには、5つの項目があります。
・アヒムサー(非暴力。肉体的、言語的、思考的にも、暴力を振るわないこと)
・サティヤ(正直。嘘をつかないこと)
・アスティヤ(不盗。他人のものを盗まないこと)
・ブラフマチャリア(禁欲。性欲などでエネルギーの無駄遣いをしないこと)
・アパリグラハ(不貧。所有しないこと)
一見、社会的に考えて当たり前の事柄ばかりですが、対外的な礼儀作法ではなくて、自分のために行うことです。自分の性質を、プルシャに近づけるために行なうこと。
自分のために行うこと、だと理解すると、ヤマに対しての捉え方・考え方が奥深くなります。
アヒムサー(非暴力)
物理的暴力は物を壊す、ひとをたたく、ドアをバンとしめるなど。言語的には言葉の暴力で他人を傷つけること。思考的暴力とは、心で思うだけでも暴力になるということ。(カルマ=業を生み出す。思ったことは外に現れる。)
そして、他人への暴力はもちろん、自分への暴力となる行動をしていないか考える。これが結構難しいです。忙しすぎて、自分の健康に目を向けていないとか、身体に悪いとわかっているものを摂るとか(タバコとか、ジャンクフードなど)も、自分に対しての暴力になると考えます。自分の気持ちを押し殺して無理をするとかも。自分を傷つけていることになりますね。
アヒムサーは、自分を高めるための行動です。自分の中の暴力性を抑える → 純粋(プルシャ)へと近づきます。
サティヤ(噓をつかない)
他人に嘘をつかないことだけでなく、自分にも嘘をつかないこと。自分の心に正直になる。つらい事をつらくないと自分に言い聞かせたりしない。自分に噓をついていないか、行動するときに少し立ち止まって考えてみるといいでしょうね。
あと、優しさからの嘘や、保身のための小さな噓も、含まれます。社会生活を送る際に、仕方ないときもあるでしょうが・・・「嘘をつかない」と心に決めて生活していると、だんだんそれも減ってくると思います。小さな噓をつかないと決めているのに、ついてしまったら、それは自分を裏切ったこと(自分に噓をついてしまった)になりますよね。
アスティヤ(不盗)
他人のものを盗まない。物だけでなく、他人の時間や、経験やチャンスも、盗むことにつながる行動をしない。待ち合わせに遅れる=他人の時間を盗む。経験する機会を与えないこと=その人の未来の可能性を盗む。
空間などもそうですね。その場所に、自分のものや、要らないものを置きっぱなしにしておく=他人がその場所をつかう権利を盗んでいることに。
信頼を裏切る、などもそうですね。他人の真心を盗んでますよね。そう考えると、アスティヤも深いです。
ブラフマチャリア(禁欲)
これはもともと、昔のヨガ修行者のための考え方で・・・性的なエネルギーを無駄遣いしないで、そのエネルギーをヨガの鍛錬のために使いましょうということですね。(性的エネルギーを貯めておくことによって、ヨガの超人的な力を開眼させる的な意味もあったよう)
現代的に考えるなら、エネルギーの無駄遣いをしないでヨガの練習にしっかりエネルギーを使いましょう、という事ですね。あと、恋人や配偶者以外のかたと、そういうアレなコトをいたしませぬよう・・・的な解釈もあるようです。(笑)
アパリグラハ(不貧)
所有をしないこと。所有しているものに執着しないこと。持っているものが、壊れる・失う=不安や苦しみを生み出すことに。また、持っているものを他人と比べることでも、苦しみを生み出します。ものに執着するから、苦しいのであって、ものを最初から持たなければ、苦しみを生み出さない。
モノだけでなく、考え方もそうですよね。古い考え方に固執すると、移り変わる時代と合わなくなってきて、苦しみが生まれる。自分の考えに固執するのも、周りと考えが合わないと、苦しみを生み出す。
ヤマの5つ、その一つ一つが、奥が深いです。
一つが、出来るようになると、5つ全てが出来るようになると言われています。
なので、まずはどれか一つから、実践していくのがいいようです。
私も、このヤマ(とニヤマ)は常に意識して行動するようにしてきたつもりですが、改めて八支則を学びなおして、「あ~、やってたつもりで全然できていなかったな~」あるいは「ヤマという事を考えて行動するのを忘れてた!」
ことが多かったと気づきました。
一つ、まずは「アヒムサー」から、もう一度日々の行動を見直していこうと思っています。
例えば、息子を叱るときなどに。叩くことはまず無いですが、注意するときなど、これは言葉の暴力になっていないか、傷つけていないか、など自分のなかで確認しながら、言葉を使っていこうと思います。
アンガーマネジメント的な効果もあるかも!
ヤマ・ニヤマの考え方、
「ヤマ」についての解説でした。
もう一つ「ニヤマ」(するべきこと)について、また次回に書きたいと思います。